最高裁判所第一小法廷 平成元年(行ツ)5号 判決 1989年7月06日
大阪府堺市深井水池町三三五八番地
上告人
小林武次
右訴訟代理人弁護士
中西裕人
岡崎守延
大阪府堺市南瓦町二番二〇号
被上告人
堺税務署長
門脇利穂
右当事者間の大阪高等裁判所昭和六一年(行コ)第五〇号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和六三年九月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人中西裕人、同岡崎守延の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、いずれも採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大堀誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ッ谷巌)
(平成元年(行ツ)第五号 上告人 小林武次)
上告代理人中西裕人、同岡崎守延の上告理由
はじめに
一 憲法三一条は行政手続にも適用があること、単に法律が定めた手続であれば足るのではなく、適正な手続によらねばならないとの趣旨であることは、確立した通説・判例である。
憲法三〇条が国民の納税義務を法律事項としたのは「代表なくば課税を」の法諺に表現される租税民主主義に立脚するもので、ともすれば濫用にわたりがちな税務行政に厳格な民主主義的手続によるべしとの制約を加えたものである。
本件においては、被上告人が上告人に対してなした推計課税が、右の憲法の要請に合致しているかどうかがまさしく争点になっており、原判決は憲法の趣旨に照らして関係法令の解釈・適用を誤っている。
二 国税通則法一七条は、納税者が納税申告書を税務署長に提出することとし、同法二四条は、税務署長において右申告が法律の規定に従わなかったとき又はその内容が調査したところと異なるときにはじめて更正処分をなすものとする。
すなわち、納税者の納税義務は、原則としてその申告するところによって確定し(申告納税主義)、これに具体的な誤りがある場合にはじめてこれが更正されることとなるのである。
従って、推計による課税は、わが税法体系上極めて例外的なもので、いかなる場合にこれが許されるか(推計の必要性)、いかなる方式による推計が許されるか(推計の合理性)は厳格に解さなくてはならない。
しかるに、後述するように、一、二審の判旨はこれら憲法及び法令の解釈・適用を誤り、極めて安易に本件推計の必要性・合理性ありとして憲法から信託された権限を放棄してしまった。
第二 推計の必要性
一 理由の開示について
1 税務調査の要件として、第七二国会の決議は納税者に対して事前に通知をなすべきこと、調査理由を具体的に開示すべきことを求めており、この二点を遵守することは憲法三一条が税務調査、ひいてはこれに続く推計課税という税務行政手続に対して課している手続上の要件である。
2 ところで、一、二審の事実認定によっても本件税務調査において事前の通知はなく、調査理由についても「申告された所得金額が正しいか否かの確認のため」との説明があったのみである。本件調査の過程においてはもとより、一、二審の審理を通じてもこれ以上の具体的な理由は遂に示されなかった。
前述したように、申告納税主義を本則とするわが税法下においては、申告内容に具体的な誤りがあって初めて更正処分が許されるのであり、その前提として、税務当局が誤りであると主張する点について納税者に攻撃防御の機会が与えられなければならないことは理の当然であると言わねばならない。
従って事前の通知、理由の開示という要件は、税務調査に対して納税者が攻撃防御をなすことができる程度に具体的でなくてはならない。
単に「申告内容が正しいか否かの確認のため」というが如きは、申告納税主義を否定し、確定申告という納税者の行為を単に税務行政への協力にすぎないものととらえる立場に立って初めて調査理由として是認し得るのであって、かかる立場は現行法の解釈としては到底採り得ないところである。
もしかかる理由に基づく調査を適法とするならば、税務調査については何らの要件もないに等しく、ひいては申告納税主義そのものを否定するに帰するところとなる。
一、二審の判決は、まさに、かかる誤りを犯しており、税務調査の要件についての法令の解釈適用を誤っている。
3 まして、証人橋本博吉の証言によれば、上告人の申告内容には特段の不審点はなく、同人が民商会員であることが本件調査の真実の理由であったことは明らかであり、明らかな権限濫用ともいうべきかかる調査を適法とするが如きは到底許されない。
4 かように、本件税務調査は理由の開示という要件を欠く違法なものであるから、上告人がこれに抗議し、その開示を求めたのは納税者としての当然の権利行使であり、これを調査拒否と論難するが如きは到底許されるものでない。
二 第三者の立会いについて
1 一、二審の判決は、上告人が本件税務調査への民商事務局員の立合いを求めた点をとらえ、上告人が調査を拒否したものとして推計の必要性を認める根拠とした。
しかし、かかる論旨は論外である。
2 上告人が堺東民商事務局員らの立会いを求めたのは、橋本署員が帳簿書類を見るなどすることを阻止するためでないことは言うまでもない。本件税務調査を進行することを前提として、これを第三者が監視することによって、税務職員の職権の行使が濫用にわたることなきを期するためにすぎない。すなわち、あくまでも上告人において帳簿書類を提示する等の本件税務調査への協力をなすことを前提としているのである。
3 上告人は、記帳にあたって堺東民商の助力を得ており、調査遂行の過程で税務職員から質問等なされた場合には、むしろ民商事務局員の協力を得た方が円滑にこれに答えることができる。すなわち民商事務局員の立会いは、調査を妨害するどころか、むしろ調査の迅速、円滑に資するところが大きいのである。
従って、税務職員において当初から帳簿書類の不備な点等をあげつらって推計にもちこむことを企図して調査に臨んだのでない限り、記帳協力者たる民商事務局員の立会いは歓迎されこそすれ、排斥されるべきことではない。
4 被上告人は、「第三者の立会い」が守秘義務違反、税理士法違反のおそれがあると主張するが、これは理由がない。
(一) まず「守秘義務違反」との点であるが、ここに言う「秘密」とは誰の秘密であろうか。
もし、被調査者すなわち上告人の秘密を指すものであるとすれば、それは問題とならない。けだし、その「秘密」の主体である上告人自身が民商事務局員の立会いを求めており、これらの者に対する秘密性を放棄しているからである。
もし、上告人の取引先の秘密を指すものであるとすれば、第三者の立会いによってどのように侵害されるというのであろうか。調査に際して税務職員が取引先に関する情報を示して上告人の記帳内容について問い質してゆくという方法は上告人に対して取引先の秘密を漏示することとなるからそもそもとり得ないはずであり、立会いの有無は関係がない。上告人が調査の過程で取引先の秘密を税務職員に対して告げる場合には、その秘密を漏示したのは上告人であって税務職員ではないから税務職員の守秘義務違反を構成するものではない。
結局税務調査に第三者が立会うことは、何らの税務職員の守秘義務違反の問題を生じさせることはないのである。税務調査への第三者の立会いが、誰のどのような秘密をどのようにして税務職員が漏示することとなってしまうのかという点については、本件調査の過程においてはもちろん、第一、二審を通じて、全く具体的にされていない。
(二) 次に「税理士法違反」の点であるが、これも誰のどのような行為が税理士法のどの法条に触れることになるのかは一切具体的に示されていない。
仮に調査の過程において具体的な税理士法違反のおそれのある行為がなされようとした場合には、個別具体的な行為をとらえてこれを排除すれば足りるのであって事前にかつ一律に立会いを排除する理由とはならない。
5 以上、上告人が第三者の立会いを求めたのは納税者としての当然の権利行使であり、これをもって調査の拒否と解するのは相当でない。
まして上告人が第三者の立会いを求めたのは本件税務調査の初期の段階であり、中盤以降は税務職員の頑な態度に妥協・譲歩をしているのであって、到底調査拒否と評し得るものではない。
三 その他、本件において推計をなすべき必要性は毫も存在しない。
1 そもそも、上告人がなした確定申告には何らの不審点もなかったものである。
このことは、本件更正処分に先立って税務調査をなした、当時堺税務署所得税第三部門所属の国税調査官の職にあった証人橋本博吉自身、右調査を指示した佐々木康介統括官の指示が同業者に比べて所得率がやや低調だという程度の理由しか指摘されていなことを認めている(昭和六〇年四月二三日橋本博吉証人調書二丁裏、三丁裏)。
それどころか、右橋本は、調査に際して上告人と面接した際に、上告人が再三にわたって調書理由の開示を求めたのに対し、右の如き調査理由すら鮮明にすることはなく、「適正な申告がされているかの調査である」旨の説明に終始している(前同調書一二、一三、一六、一七、二七丁)。更に、上告人から帳簿類の提示を受けたのに対し、右橋本は売上げの調査のみに終始している。もし真実所得率に疑義があるのであれば、売上げと経費、特に経費の真否にこそ調査の焦点があてられたはずで、調査の必要性についての橋本の前記証言は、後日のこじつけにすぎないと思料されるのである。
他方、佐々木統括官は、橋本に対する調査の指示にあたって上告人が民商の会員であること、事前告知をすることなく調査することを特に明示して指示している(前同調書四丁)。
以上の事実を総合的に勘案するならば、被上告人が上告人に対して税務調査をなした真実の理由は、上告人が民商会員であることからこれを嫌悪し、差別的な処遇をなすべくこれをなしたという点にあったのであって、上告人の申告に対する不審点はなく、これを敢えて取沙汰したのは口実にすぎないことが窺われるのである。
いずれにせよ、本件全証拠を通じて、上告人の申告について不審点が存しなかったにもかかわらず調査し、推計が強行されていることは争いようのない事実である。
2 本件税務調査は調査というに値するものでない。
橋本証人は昭和五六年九月九日、同月一六日、同月二一日、同月二四日、一〇月八日の五回臨場した旨証言するが、そのうち九月九日、九月二一日、の二回はいずれも事前通告なしに上告人方に赴き、そのため上告人と面談し得なかったというのであり(前同調査所一〇丁、二四丁)、上告人と面談し得たのはその余の三回のみである。およそ他人方を訪問し、面会を求めるにあたっては、事前にその旨申し入れ、相手方の都合を確認し、日時を約するのが社会的常識であり、これを敢えて怠り、調査回数に算入するという態度は真摯に調査をなさんとする意思が当初からあったものかどうかを疑わせるものである。
のみならず、橋本は、上告人と面談することを得た三回のうち、第一回である九月一六日には、調査理由の開示を求める上告人に対し、「申告内容が正しいかどうかの確認である」という抽象的な回答に終始し、真摯な態度をとることなく時間を空費している。具体的な調査理由を明示することによって初めて納税者はこれに応じた協力をなし得るのであり、心理的にも協力的になり得るのであって、問答無用式の調査の強要はいたずらに納税者に反発心を起こさせるだけでなく、効率的な調査協力を得ることもできないのは理の当然である(もっとも本件調査にはさしたる理由もなく、従って具体的の説明をなそうにもなし得なかったというのが真相であろうが)。
民商職員の立会要求に関しても然りである。前述したように、事前に一律かつ全面的に立会いを排除すべき理由はない。そればかりか、上告人は会計処理等について民商職員の助力を得ているのであり、立会を認めることがかえって効率的な調査を期待しうるのである。しかるに橋本は、高圧的・権力的に立会いの排除を求めるのみで帳簿等の提示すら求めることなく、調査に着手することすらしなかったのである。
二回目に橋本と上告人が面談した九月二四日にも橋本の右の如き高圧的・権力的な姿勢は変わらず、やむなく上告人においてその道理ある主張を一時留保して帳簿等(甲第二号証、同第四号証の一ないし七五、同第五号証の一ないし三二、同第六号証の一ないし三〇、同第七号証の一ないし五)を橋本に提示している。橋本の高圧的・権力的な態度と比較するとき、極めて対照的であると云わねばならない。
三回目(最後に)橋本と上告人が面談した一〇月八日には、帳簿等を筆写する橋本に対し、上告人が筆写するとの話ではなかった旨申し向けたのに対しても橋本は「提示するというのは写すことを含む」旨強弁して譲らない。上告人が「写させてくれと言えば写させる」旨申しむけているにもかかわらずである。上告人の反発心を招いた橋本の高圧的・権力的な態度はここでも表れており、上告人が帳簿等を提示したのに対して事実上橋本の方がこれを拒んでいるのである。
以上の全過程を通じて、橋本には納税者の納得のもとにその協力を得て調査の実をあげようとする態度は終始微塵もみられず、その姿勢は高圧的・権力的で、調査を果たし得なかったのは一に被上告人の責任であり、推計の必要性は毫も存在しないものといわねばならない。
3 前述のように上告人は帳簿等を全て橋本に提示し、その筆写すら許容している。橋本においてもし真摯に調査をなしていれば、後に詳論するように上告人の申告が実額として正確であることが容易に判明していたであろう。これらに基づいて調査をなし得るにもかかわらずこれを拒否したのは前述の様に被上告人の側である。
四 以上、本件税務調査は理由のない違法な調査で、事前通知、理由開示という手続要件を欠く憲法三一条違反の違憲・違法な調査である。
本件税務調査は調査の拒否等の推計の要件を欠く違法な推計で憲法三〇条、三一条にも違反する。
第二 推計の合理性について
一 前述したように、推計による課税は申告納税主義という大原則の例外として、申告による数字を排除してなすものである以上、かかる取扱いに耐え得る程度の客観的合理性の担保された数値に基づく推計であることを要すべきこと理の当然である。
二 しかるに、被上告人のなした推計における各種数値は何ら合理性の担保されていないものである。
1 まず、被上告人は本件において被上告人第一準備書面第三記載の<1>ないし<5>の五つの基準を設定し、この条件に合致した同業者の平均売上原価率、平均外注費率を適用したものと主張する。
ところで、右基準によって抽出されているのは、被上告人によれば、業種・事業場所・規模等において上告人と類似性を有するものということであるが、事業規模に関する基準は<1>と<2>のみである。このうち<1>は、売上げ原価が九〇〇万円か二五〇〇万円という上下限に三倍ものひらきがある広い範囲にわたるもので基準としては余りにも緩すぎるものである。基準<2>に合致するような零細業種であればその殆どは社会通念上基準<1>にも合致するであろうことが推認されるのであって、殆ど同義である。
また、基準<3>、同<4>は特殊例外的なケースを除去し得るにすぎず、上告人との類似性を云々するに値するものでない。
基準<5>に至っては、被上告人の全主張立証を通じても基準<1>ないし<4>に合致する業種のうちで不服申立て、訴訟係属中であるものはいないのであるから、基準としての価値は何ら存しない。
以上要するに、被上告人の設定した基準は、何ら上告人との類似性を担保するものでない。
ところで、更に不思議なことには、かかる緩い基準に合致するタイル工事業者が堺税務署管内に一件しかいない(堺、住吉、八尾、富田林の四署管内では七件にすぎない)ことである。同管内にタイル工事業者が何業者あるのかは定かではないが、一〇者や二〇者にとどまるものでないことは想像に難くない。被上告人が厳格な選定基準を設定して同業者の内から厳しい絞りをかけたというのならともかく(それにしても一例しかないというのは不自然であるが)、前述の如く選定基準というに値しない緩い基準にもかかわらず一例しかないというのは極めて不合理かつ不自然である。 右抽出の過程は第三者からの検証が一切排除され、本件訴訟の一方当事者で推計の合理性についての紛争当事者である被上告人及びその上級官庁によって終始なされたものであるが、その主張に都合のよいもののみを抽出して訴訟資料として提出されたものと断ぜざるを得ない。
2 乙第一ないし第五号証は、そこに摘示された同業者の申告に基づくものである旨被上告人は主張するが、被上告人は上告人からの再三の要求、裁判所からの勧告にもかかわらず右原資料を提出しない。
および被上告人において同業者の実態を主張・立証せんとするのであれば、その主張立証が正確なものであるかどうか上告人においてこれを検証し得る機会を得て初めてその信用性が担保されるのであって、原資料を隠匿したままの結論のみの提示は訴訟追行の面での公正さを担保し得ないのみならず、その信用性を失わせる。大阪地方裁判所決定は、推計の基礎となる同業者の数値の主張につき、青色決算書の提出義務を民事訴訟法三一二条一号に基づき認めたが、その論旨は全く正当であり、同法三一六条の趣旨から乙第1ないし第五号証は信用性を欠くものと断ぜざるを得ない。
直截にいうならは、原資料を提示することなく同業者の数値を主張する場合にこの主張を採用するならば、推計の合理性については税務当局の恣意によってのみ定められることとなり、納税者にはこれを争う手段が何ら与えられないこととなってしまうのであり、推計課税について裁判所がこれをチェックするという機構はまさしく有名無実化してしまうのである。
アン・フェアの一語に尽きる被上告人の態度は、裁判所の機能に対する挑戦であり、納税者の権利を害するものであって到底容認し得るものでない。
3 被上告人の設定した基準の最大の欠陥は、上告人の事業が上告人自身がタイル工事に従事しないという実態を無視している点である。
そもそも上告人の如き零細企業においては、他から請負った工事を自ら施行し、受注件数が増してこれをさばき切れないときは外注に出すことを常態とすることは経験則上明らかである。
上告人の如く自ら技術を有しないためにタイル工事に従事することができない場合には、受注の多寡にかかわらず、ことごとく外注に出さざるを得ず本来自ら工事に従事し得るべき作業についても外注費を支出せざるを得ず、コスト高になることを避け得ない。この事実は上告人の外注費率、売上率を考慮する際に重要で合理的な推計をなすためには到底無視することを得ない事項である。
しかるに被上告人は本件推計にあたって右の事実を一顧だにしていない。
被上告人は、これを正当化するために、被上告人の規模の業者においては自らタイル工事に従事する技術を有する者であっても受注や計算業務に専念し、工事には従事しないから考慮の必要がない旨或いは全体への影響は少ない旨強弁するが、これは不当である。第一に上告人においてもそうであるが、上告人程度の規模の業者では配偶者が計算業務に従事することが多く、営業主において工事に従事するゆとりがないというような実態はない。第二に、受注件数は通常二、三件から五、六件程度であるというのであるから、そのうち一件を外注に出さずに自ら処理し得るかどうかというのは単純計算でも二割以上の影響を有するのであって到底無視し得る事柄ではない。
被上告人は、技術を有する者であっても営業主自らがタイル工事に従事することはないという強弁を正当化するために乙第一二号証を提出するが、右文書はどこの誰ともわからない者の供述ということであり、これまた反対尋問の機会すらもち得ない供述であり、証拠価値はない(かかる方法による立証であれば、どの様な事実を立証することも可能であろう)。
仮に乙第一二号証の「応答者」が上告人と同様自ら技術を有しない者なのであれば、(これとて、そう供述されていてもその真偽を確認する術はないが)、耳を傾ける価値はあるかもしれない。しかし乙第一二号証の「応答者」は、タイル職人の出身であり、自らタイル貼りをする技術を有しており、自分にそのような技術がないために苦労した経験を有しない。かかる人物に、事業者自身が技術を有するか否かによる外注費率の差を論ぜしめることにどれほどの意味があるか、論ずれるでもないことである。
第三に、乙第一二号証の「応答者」の昭和五五年分の売上金額は金五四九四万円余というのであり、上告人の昭和五六年分んの売上金額四一六八万円に比して三〇パーセント以上上回っている(被上告人の推計によっても上告人の昭和五六年分の売上金額は四八四九万円余というのであるから、乙第一二号証の「応答者」の同年分売上はこれをも約一二パーセント上回っている)。
上告人に比して事業規模はかように大きい「応答者」が営業に時間をとられて自らタイル貼りに従事することがないとしても、これをそのまま上告人にあてはめることができないことは自明の理である。
なお、乙第一二号証の「応答者」は、その売上金額の数字から察するところ、上告人が推計のために採用した一審における被上告人第一準備書面(昭和五八年一〇月一一日付)添付別表1記載の七人の同業者のうち「八尾1」と記載された業者のようであるが、この業者は右七人のうち売上げ金額が二番目に大きい者である。被上告人が、上告人と売上金額の類似する「住吉1」や「八尾2」の業者、あるいは、慎重を期して上告人よりも売上金額の少ない「富田林1」「同2」の業者について調査するでなく、「八尾1」の業者を特に選定したのは、その意図は明らかである。さすがに最も事業規模の大きい「堺1」の業者を選ぶことははばかられたものの、その論旨に沿う業者を選ぶという作為に基づくものであることは明白である。
三 とりわけ、上告人は、独自に同業者の数値を立証したが、その信用性は被上告人のそれに比して勝ることはあっても劣ることはない。
二審判決は、同業者の抽出基準の一つとして青色申告者たることを要件とすべしと判示する。
その理由は、要するにそれは青色申告者は記帳、決算の信用性が担保されているというにある。
しかし、もし右のとおりであるとすれば、上告人の帳簿である甲第二号証にもその理はあてはまるはずである。けだし、同号証作成当時、上告人は青色申告者だったからである。一方で青色申告者の決算は一律に信用性を有するものとし、他方で上告人の帳簿の信用性を否定する。この御都合主義はどうであろう。
そもそも被上告人は、上告人の申告に具体的な問題点、疑問点がないにもかかわらず、ただ「申告の内容が正しいかどうか」というだけの理由で調査しているのである。すなわち、具体的な不審等はないにもかかわらず、被上告人は青色申告者たる上告人の提出した数値の信用性を一律に否定しているのである。青色申告者の決算は正確性が担保されているという二審の判示とは全く矛盾した態度を二審判決がとっているのである。
他方、白色申告者だからといって一律にその決算は正確性を有しないというのは国民(納税者)を愚弄するもので、申告納税主義の根底を否定するものであるといわざるをえない。
要するに、青色申告者たると白色申告者たるとを問わず、その決算数字の信用性は、個々に吟味を加えることなく論ずること自体不可能であり、無意味である。
被上告人は一審における上告人代理人、裁判所からの再三の求めにもかかわらず乙第一ないし五号証の基礎となった決算書類の提出を拒んでおりかかる態度こそその数値の信用性を失わせるものと言わねばならない。
四 かように、本件推計は全く合理性を欠き、かかる推計を是認した一、二審の判決は憲法三〇条、三一条、国税通則一七条、二四条の解釈・適用を誤ったものと断ぜざるを得ない。
第三 一、二審判決は上告人の実額反証に対する判断を誤り、その結果として推計課税の適用を認めた点に於いて法令の解釈適用誤った違法が存在するので破棄を免れない。
一 上告人は、一、二審を通じて積極的に簡易帳簿、伝票等を提出し、本件の推計課税の誤りを主張してきた。そして、右の上告人提出にかかる資料はいずれも極めて信用性の高いものであった。にも拘わらず一、二審判決とも、この点に全く目を向けず、安易に本件推計課税の適用を許したのであり、その姿勢は強く批判されねばならない。この点は、既に一、二審を通じて再三にわたり主張してきたところであるが、ここに重ねて以下の通り主張するものである。
二 そもそも、一、二審判決は被上告人の提出した乙一~五号証に対しては、何ら批判的検討を加えるでもなく、(一審の当初の裁判長がそれらの基礎資料の提出を強く被上告人に求めた事実を想起すべきである)それを、盲目的に採用する一方で、上告人提出にかかる実額反証の資料に対しては、微小な点を拾い挙げて徹底的に弾劾するという極めて偏頗な態度をとってきた。そもそも推計課税の合理性を証する資料とそれに対する反証となる資料の、それぞれの信用性は、全く同基準で判断されねば凡そ裁判の公平性は保つ事が出来ず、特に本件の如く国が国を裁く訴訟にあってはその要請は一層強いものである。にも拘わらず、一、二審判決はこの点に全く配慮せず、安易に推計課税の適用を許したのであり、その偏頗性は明白である。
三 簡易帳簿の信用性
1 甲二号証は、上告人の妻美智子の作成にかかるものであるところ一、二審判決はその作成過程の些細な点を殊更に問題にしてその全体としての信用性を否定せんとしている。しかし、此の作成経過を右の如く公平に見れば、その信用性は充分とみるべきである。
2 この作成経過は以下の如きである。
(一) そもそも上告人は、被上告人職員の上告人方への税務調査の時点から、上告人方備えつけの帳簿書類一切を右職員の閲覧に供してきているところである。この帳簿書類一切は、上告人に於いて日常の業務内容をそのまま記録すべく正確に、且つ、機械的に作成されたものであり、その信用性は非常に高いものである。
(二) 上告人の営業に於いて具体的な記帳行為は、同人の妻小林美智子が全て処理していたものである。即ち、上告人の営業に於いて売上があった場合は、請求書の控や領収証の控が作成されるものであるが、上告人は、これらの書類を全て妻美智子に集中し、美智子はそれを決まった場所に保管しておくのである。また、外注先、仕入先への支払いの際は領収証を受け取るのであるが、これも妻美智子に集中するのである。上告人は全ての書類をこの様に扱っているのであり、殊更に何らかの書類を除外したりする筈もない。(一審原告本人調書一三丁裏)妻美智子は、その様にして保管された書類に基づいて帳簿への記帳作業を行っていくのである。この記帳作業は全て美智子一人でやっているのであるから、その点で機械的で正確な記帳内容が保証されるのである。美智子はこの記帳を毎日行う訳ではなく、いくらかまとめて空いた時間に行うのである。しかし、この事が格別記帳内容の正確さに影響を与える筈もない。一、二審がこの点を把えて、その信用性を否定せんとするは全く不当である。右に述べた通り、全ての書類が美智子に集中され、美智子に於いてこれを機械的に書き移している以上、記帳作業を毎日行うかどうかは、正確性と何ら関係ない事柄である。被上告人も又この点を無理に帳簿の正確性と結び付けんとしているが、全く的外れの主張である。
(三) 又、被上告人は甲二号証の記載方法が記載要領に適合していないとして、その信用性に意義を唱える。しかし、被上告人の指摘しているのは、全く形式的な記載場所をどこにするかという問題にすぎなく、上告人の所得額を裏付ける数額の記載には何ら影響のない事柄である甲二号証に於いては、少なくとも上告人の所得全額を算出するに必要な項目については、細大もらさず記載されているところであり、この点でも被上告人の主張は全く的外れである。かかる形式的な口実で甲二号証の信用性を問題にせんとする被上告人の態度は、本件の推計課税が許されない場合にも安易、且つ、強引に推計を行おうとする態度に相通ずるものであろう。
(四) 又、一、二審判決は日々の帳簿上の残高と現金残高の照合がなされていない事も問題にするが、上告人方にあっては仕事の上での現金出納と家事の上でのそれが判然と区別されている訳でもなく、上告人の如き事業規模にあっては原判決の指摘の如く厳格な処理を要求するのは余りに酷というべきであろう。又、かかる厳格な現金との照合作業迄なされずとも記帳内容の正確性は充分保持しうるものと言うべきである。
(五) 他方、被上告人は、甲二号証に基づき現金計算をすると赤字になる事の疑問を主張する。しかし、上告人は甲二号証を厳密な意味での現金出納帳として使用している訳ではないから、被上告人の疑問は問題にならない。そして甲二号証を現金出納帳として記帳していなくても、上告人の営業収支を明らかにする為には何らの不都合な事はなく、所得の実額を算出するには甲二号証の記載で必要にして充分である。
(六) 被上告人は、又、甲二号証の記帳につき発生主義に基づいているかどうかの疑問を主張する。しかし、翻って考えれば、発生主義かどうかという問題は、甲二号証の正確性、信用性とは全く次元を異にする性質の事柄である。仮に被上告人の指摘する如く、甲二号証が現金主義に基づいて記載されているとしても、それはその範囲で記載時期を是正すれば足りる事柄であって、その事で甲二号証の数字自体が不正確と言う事になる筈もない。
(七) 甲二号証の信用性について具体的な内容として、問題とされているのは、乙六、七、八号証の関係である。しかし、まず乙七号証の関係を見るに一、二審判決は訴外上田忠男からの金三三万円の支払いの性格について事実誤認の誤りをおかしている。この金三三万円は、上告人が法廷で具体的、且つ詳細に供述している通り、野村という職人に仕事をそのまま「丸投げ」したのであって外注ではない。それ故、上告人の利益は全くないのであるから売上欄に記帳すべき性質のものではない。又、右野村もその意味で外注先のリストには登場しないものである。この点について、一、二審判決は上告人の説明が恰も虚偽の如く述べるが、上告人は前記の訴外石原産業(株)からの脱落を率直に認めているのであり、その上告人の態度から翻って考えれば、前記「丸投げ」の説明は充分に信用しうるものである。この点でも、一、二審判決の態度には、被上告人の主張を鵜呑みにし、上告人の主張は頭から疑うという傾向が窺えるのである。
(八) 次に乙八号証についてみると、これは、上告人が一審で供述している如く訴外浜中正直に対する貸金債権の返済金である。浜中は外注先であったが、この返済のあった頃は既に上告人方に来ていなかったから、送金の方法による返済となったのである。
そもそも翻って考えるに、被上告人はこの入金がどういう性質の金員であるかという指摘を全くなさず、単に上告人の口座に入金があったもののみを拾い挙げているにすぎない。浜中が上告人の外注先である事は明らかでありこの者から売上金の支払いがある筈のない事は容易に判断できる事である。被上告人は権力を行使して金融機関から浜中の住所も聞き出している(乙八号証)。
よって、被上告人は、当然浜中から直接この金員の性質も聞いている筈である。にも拘わらず、その調査結果を明らかにせず、少し考えれば売上金でない事が容易にわかる入金を恰も上告人が売上を隠しているかの如く持ち出しているのである。
(九) 結局、乙六号証の関係のみが記帳漏れというべきものになる。しかし、右にも述べたとおり、被上告人は公権力を総動員して上告人の提出した書類を逐一調査し、或いは、取引先金融機関にも大掛かりな調査を行っている。その結果として判明したのが、わずか乙六号証にある金六二、九〇〇円の記帳漏れにすぎないのである。これが、単に記帳漏れにすぎず、故意に所得を隠そうとしたものでない事は、上告人が他の取引と同様にこの取引について請求書、領収書を発行し、又、銀行による支払い方法をとっている事から明白である。この様にわずか一件の記載漏れしかないという事実は、被上告人の思惑とは逆に甲二号証の信用性を却って裏付けるものである。わずか一件の金六二、九〇〇円の記載漏れをもって、推計課税を合理化する事が許される筈はなかろう。この点で一、二審判決の判断は決定的に誤っていると言うべきである。
(十) この様にして出来上がったのが甲二号証である。この簡易帳簿は前に述べた作成経過からして、その正確性、信用性は極めて高く、所得税申告の基礎資料とするに何ら問題のないものであり、又、上告人の収支の実額を基礎づける最も権威ある資料として尊重されるべきものである。
3 この様に、甲二号証は具体的に検討しても、右の如くその脱落はわずか一件の売上しかなく、その意味でその信用性は極めて高いにも拘わらず、一、二審判決は強引に被上告人主張の結論を導かんが為に、甲二号証に対しては一般的に「疑問がある」「信用する事は出来ない」というのみで、その信用性を真摯に検討したとは到底思えないのである。
4 上告人は、この様にして作成された甲二号証に基づいて、申告額の算出をなしたのであり、それが甲九、一〇号証である。この甲九、一〇号証作成手続きも甲二号証に基づいて、ごく機械的になされたものでその信用性は高い。その作成経過については上告人本人が控訴審にて供述している通りであり、そこに何らの恣意も介入していない事はその供述より明白である。
但し、被上告人より不当にも青色取消処分がなされた為に、それに見合う数字の訂正をなした部分があるにすぎず、それも上告人が控訴審で供述している通りである。
5 以上の如く、上告人が一、二審で主張立証してきた、上告人の申告内容の正確性は、極めて信用性の高いものであり、にも拘わらず、全く偏頗な基準にて一方的に被上告人の推計課税を肯定した一、二審判決は結局推計課税の許容基準を誤ったという点に於いて、法令の解釈適用を誤った違法が存在するというべきである。
第四 一、二審判決には貸倒金の認定に誤りがあり、その点に於いて法令の解釈適用を誤った違法が存在するので破棄を免れない。
一 上告人は、一、二審に於いて、貸倒引当金による所得控除の主張をなしてきたが、一、二審判決はいずれもその適用基準を誤っており、その違法性は重大である。この点についても改めて述べると、以下の通りである。
二 東大阪清水建設(株)、大建建設(株)、及び(有)小谷工務店に対する各貸倒金について、被上告人は甲一〇号証の二への計上の有無を問題にする。しかし、これを計上していない理由については、上告人が控訴審で供述した如く、青色申告の場合は発生以後三年間の任意の年分の経費としうるとの理解に基づくものに他ならない。かかる理解が所得税法の理解として正しいかどうかは別として、当時上告人がかかる理解を有していたことは甲一〇号証の二及び三に於いて創和建設工業(株)への貸倒金を三分の一だけ計上している点からも明らかである。
三 故に、この問題は結局甲一〇号証の二、三の記載或いは上告人の税法の理解と言う事ではなく、結局当該債権が昭和五五年内に回収不能となったかどうかの事実判断に基づいてこそ判定されるべき事柄である。そして、右二つの債権が昭和五五年時点で回収不能となった点は、上告人の控訴審昭和五九年七月一八日付準備書面で具体的に主張している通りである。
四 のみならず、既に上告人が一、二審において再三主張している如く、国税不服審判所もこの三件の貸倒金を昭和五五年度と認定しているのであり、この判断は充分に尊重されるべきところである。
五 又、被上告人は、創和建設工業(株)への貸倒金を引き合いに出すが、これについては上告人が元々昭和五五年分の貸倒金として主張しているものでないから凡そ無意味な主張である。然しながら、ここで注意すべきはこの貸倒金については、裁決の認定を正当としながら、前記三口の貸倒金について裁決の認定を排斥せんとする被上告人の極めて偏頗な姿勢である。かかる「いいとこ取り」とも言うべき被上告人の姿勢は本来公正であるべき税務署の姿とは全く掛け離れたものでいかなる手段をもちいても本件課税処分を正当化せんとするものと断じざるを得ないのである。
第五 結論
御庁におかれましては、以上の諸点を充分に審理された上で、推計課税の安易な拡大適用をいましめるべく適正公平なる判断を強く求めるところである。